東洋大学“除籍”を「卒業」と記載していたことで話題になっている田久保真紀市長。
経歴の食い違いが報じられたことで、「そもそもどんな家庭で育ったの?」「ご両親はどんな人?」と、実家や生い立ちに関心を持つ人も増えてきています。
今回はそんな田久保真紀さんの実家の場所や、両親の職業、家庭環境などについて、わかる範囲で深掘りしてまとめました。
田久保真紀実家はどこ?生い立ちについて調査!

東洋大学を「卒業」って書いてたけど、実は“除籍”だった――
そんなことで話題になった田久保真紀市長ですが、最近は「この人って、どんな家で育ったの?」「実家ってどこなの?」って気になる人も増えてきてるみたいです。
そこでここでは、田久保さんの実家の場所(わかる範囲で)や、生い立ち・家庭環境について、できるだけわかりやすくまとめてみました。
実家は千葉県船橋市|“都会っ子”から“田舎暮らし”へ
田久保真紀さんは、1970年2月3日生まれ。
実家は千葉県船橋市で、いわゆる“都会っ子”として育ちました。

船橋といえば、都心からも近くてベッドタウンとして人気のあるエリア。
当時からサラリーマン家庭が多くて、教育にも熱心な家庭が多かったんだとか。
そんな中で育った田久保さんですが、10歳のときにお父さんが病気で他界。
これをきっかけに家庭の状況が一変し、それまで暮らしていた船橋の実家を離れて、母親と一緒に静岡県伊東市へ引っ越すことになります。
“都市の暮らし”から“地方での生活”へ―
環境もガラッと変わって、思春期を前にかなり大変な経験をしたんじゃないかと思います。
静岡県伊東市へ移住|母子家庭での生活がスタート
お父さんが亡くなったあとは、お母さんと二人で静岡県伊東市へ引っ越し。
タイミングとしては中学3年生のときで、それまで暮らしていた千葉から、まったく違う土地での生活が始まりました。
転校先は伊東市立北中学校。

高校はそのまま地元の伊東城ヶ崎高校へ進学しています。

北中から城ヶ崎高校までは直線でも5〜6kmほど離れていて、歩きで通うにはちょっと厳しい距離。
実際には電車やバスを使って通学していた可能性が高いです。
ちなみに城ヶ崎高校の偏差値は40前後で、進学校というよりは“地元密着型”の高校といった印象。
おそらくですが、「進学のため」よりも「通いやすさ」や「家計への負担の少なさ」などを優先して選んだのかもしれません。
母子家庭という状況で、経済的に余裕があるとは言いづらい中、アルバイトをしながら高校に通っていた…なんて話もあり、地元でなんとかやっていこうという気持ちが伝わってきます。
環境が一気に変わって、心細さもあったと思いますが、そんな中でも「自分がしっかりしなきゃ」って気持ちで踏ん張っていたのかもしれませんね。
“伊東で生きていく”という選択と、その後の人生
高校を卒業した田久保真紀さんは、東洋大学の法学部に進学します。
法学部って、東洋大の中でもそこそこ難しい学部で、偏差値は50前後。
母子家庭で育ってきた田久保さんにとっては、かなりチャレンジングな進路だったと思われます。

しかも、東洋大学のキャンパスは東京都文京区の白山にあって、地元の静岡県伊東市からはとても通えない距離。
電車で片道3時間以上かかるので、おそらく上京して、一人暮らしをしながら通っていた可能性が高いです。
ただ、東京での生活や勉強、いろんなプレッシャーがあったのかもしれません。
最終的には“除籍”という形で大学をやめることになっています。
(※この「除籍って何?」「なんで問題になったの?」という件については、記事の下に別リンクを貼ってるので、気になる方はそっちもチェックしてみてください)

その後、田久保さんは伊東に戻って、カフェを開いたり、地域の活動に関わったりと、地元での暮らしにシフト。
そこから少しずつ信頼を集めて、市議会議員、そして市長へとステップアップしていきました。
都会ではうまくいかなかったけど、「やっぱり自分の居場所はここだ」と思ったのかもしれません。
地元の人たちと近い距離で向き合ってきたからこそ、“市民派のリーダー”として支持されるようになったんじゃないでしょうか。
両親の職業は?家庭環境はどんな感じだった?

「田久保真紀さんって、どんな家庭で育ったの?」「親はどんな仕事してたんだろう?」
そんなふうに気になった人もいるかもしれません。
学歴の話題が注目されると、その背景にある家庭環境や両親の存在にも目が向きますよね。
このセクションでは、田久保さんの両親の職業や、家庭がどんな雰囲気だったのかについて、わかる範囲でまとめてみました。
両親の職業は?
田久保真紀さんのお父さんやお母さんがどんな仕事をしていたのかは、はっきりとは公表されていません。
ただ、彼女が10歳のときにお父さんが病気で亡くなったという話があるので、そこからはずっとお母さんとの二人暮らし、いわゆる母子家庭だったみたいです。
お父さんの職業については情報が出ていないんですが、もし家計に余裕があるような職業だったら、早くに亡くなったあともある程度生活にはゆとりがあるはず。
でもそういう雰囲気ではないので、それほど裕福な家庭ではなかったんじゃないかなと思われます。
お母さんも職業は不明ですが、女手ひとつで子どもを育て上げたというだけで立派ですよね。
きっとしっかり者で、強い人だったんだろうな…と感じます。
家庭環境はどんな感じだった?
家庭の中のことってなかなか外からはわかりませんが、田久保さんの高校時代にアルバイトをしていたというエピソードや、大学も卒業ではなく“除籍”だったというところを見ると、やっぱりそれなりに経済的にしんどい時期もあったんじゃないかなという感じはします。
ちなみに“除籍”っていうのは、自分から辞めた「中退」とは違って、学費が払えなかったとか、単位が足りなかったとかで、大学側から在籍を取り消されるケースです。
お金の面や生活との両立など、いろんな事情が重なってたのかもしれませんね。
しかも、お父さんが亡くなったあとには、それまで住んでた千葉県船橋市から、静岡県伊東市へお母さんと一緒に引っ越ししています。
時期は中学3年生のころ。ただでさえデリケートな年頃に、引っ越し・転校・母子家庭っていう状況は、かなり大きな変化だったと思います。
田久保真紀のプロフィール

- 田久保 眞紀(たくぼ まき)
- 生年月日:1970年2月3日(現在55歳)
- 出身:千葉県船橋市
- 現住所:静岡県伊東市
- 趣味:バイク、読書、アニメ観賞
田久保真紀さんが市長になるまでの経歴は、Wikipediaに掲載されている情報がベースになっています。
Wikipediaって誰でも編集できる面はあるんですが、今回の内容は選挙結果や市議の記録など、公的な情報に基づいていて信頼性もそこそこ高いと思われます。
大学除籍後は東京でバイク便や広告関係の仕事をして、2010年ごろに伊東市へ戻ってカフェを開業。
その後、地元のメガソーラー建設に反対する市民運動に参加して、活動が広がっていきました。
2019年に市議選で初当選し、2期目も務めたあと、2025年の市長選で現職に勝利。
そのまま伊東市の第21代市長に就任しています。



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