元グラビアアイドルという異色の経歴をもち、今では立憲民主党の参議院議員として活躍する塩村あやかさん。
実は、イギリスやオーストラリアへの留学経験があったり、今も中央大学法学部の通信課程で学んでいたりと、意外にも“努力派”な一面を持っています。
この記事では、そんな塩村あやかさんのwiki風の経歴まとめとともに、出身校や留学歴などの学歴情報をわかりやすく紹介していきます。
若い頃の芸能活動から、現在の政治家としての姿まで、まるっとチェックしていきましょう!
塩村あやかのwiki経歴

- 塩村 文夏(しおむら あやか)
- 議会登録名:塩村あやか
- 生年月日:1978年7月6日(現在46歳)
- 出身地:広島県福山市
- 血液型:AB型
- 所属政党:立憲民主党
- 婚姻状況:事実婚中(婚姻届は提出せず・年上男性と別居婚・選択的夫婦別姓を支持)
- 被爆2世
- 前職:グラビアアイドル、放送作家、タレント、自動車評論家
- 政党歴:みんなの党 → 無所属 → 民進党 → 国民民主党 → 立憲民主党
塩村あやかさんは、広島県出身の政治家さんで、今は立憲民主党の参議院議員として活動しています。
でも、もともとは芸能界にいたって知ってました?グラビアアイドルとしてデビューして、『恋のから騒ぎ』にも出演。しかもその年のMVPまでとっちゃうという、なかなかのバラエティ力の持ち主です。

そのあと裏方にまわって、今度はテレビの放送作家としても活躍。
バラエティ番組の企画を考えたり、構成を作ったりと、けっこうガッツリ芸能界の世界にいた人なんです。
それが、30代になってから「政治やりたい」と思い立ち、2013年に都議選にチャレンジ。
見事、世田谷区から初当選します。
その後は衆院選に落ちたりもしつつ、2019年の参議院選挙で国会議員に。
いまは国会で、ジェンダー平等とか動物愛護、若者の支援、不妊治療のことなど、いろんな分野で頑張っています。
「選択的夫婦別姓」や「同性婚」にも積極的で、発信もかなりハッキリしてるタイプ。
ちなみにプライベートでは、年上の男性と事実婚中。
結婚はしてないけどパートナーがいて、広島と東京で“別居婚”スタイル。
「塩村あやか」って名前でずっと活動してきたから、苗字を変えたくなかったらしくて、婚姻届は出してないんだとか。
それって、彼女が推してる「選択的夫婦別姓」そのものだし、言ってることとやってることがちゃんと一致してて、そこも好感持たれてるポイントです。
塩村あやか学歴について調査!
ここでは、塩村あやかさんの学歴ってどんな感じ?ってところをゆるっと調べていきます。
短大出身っていうのはわりと知られてるけど、実は留学してたり、大学の通信課程で勉強中だったりと、なかなかの頑張り屋さんなんですよね。
「え、高卒じゃないの?」「今も勉強してるの?」なんて声もあるみたいなので、そのあたりをざっくりまとめてみました!
小学校(福山市立光小学校)

塩村あやかさんが通っていたのは、広島県福山市にある光(ひかり)小学校。
のどかで自然も多く、地域とのつながりを大事にしてる学校です。
そんな中で、塩村さんは生徒会の副会長をやってたんだとか。
小学生ながらしっかり者だったんですね〜。
当時から「みんなをまとめる役」が板についてたのかもしれません。
それから、小6の夏休みには、8月6日登校して原爆について学ぶ“平和学習”にも参加してたそうです。
広島ならではの大事な行事で、そういう体験が今の“平和への意識”にもつながってるのかも。
ちなみに、この頃にご両親が離婚。
お母さんが女手ひとつで塩村さんを育てていて、しかもそのお母さん、めちゃくちゃパワフル。
なんと、PTA会長もやりながら、地元のフットベースボールの監督までやってたというからビックリです。
そんな“地域の頼れるお母さん”の姿をそばで見てたからこそ、塩村さん自身も「自分も社会の中で役割を持って動く」っていう意識が自然に育ったのかもしれませんね。
中学校(鷹取中学)

塩村あやかさんの中学時代は、福山市立鷹取中学校に通っていました。
小学校に続いて、地元密着な環境でのびのびと過ごしていたみたいです。
部活はというと、陸上部に所属していてなんとキャプテンも務めてたそうです。
走るのも速くて、責任感もあって…って感じだったんでしょうね。
中学生でキャプテンって、なかなかできることじゃないので、この頃からリーダーシップが光ってたのかもしれません。
高校(岡山県就実高校)偏差値:46〜68

塩村あやかさんが通っていたのは、岡山県にある私立の就実高校。
制服が「ハナエ・モリ」デザインでかわいいことでも知られてる、ちょっとおしゃれな女子校です。

この高校、実はバレー部や吹奏楽部が全国レベルで、部活にもかなり力を入れている文武両道な雰囲気。
校則はちょっと厳しめって声もあるけど、落ち着いた子が多くて「真面目だけど華やかさもある」っていうバランスのいい学校みたいです。
塩村さんはそんな中で、生徒会の副会長を務めてたんだとか。
本人いわく、自分は「グイグイ引っ張るタイプじゃなくて、サポート型の“補佐役”タイプ」だったらしいんですが、
それでもしっかり堅実なリーダーとしてみんなに信頼されてたっていうのが伝わってきます。
あと、塩村さんは卒業後も母校のイベントに顔を出したり、つながりを大事にしてるようです。
そういうところからも、地に足のついた“地元愛”みたいなものを感じますね。
共立女子短期大学 文科卒業 偏差値44~49

塩村あやかさんが進学したのは、東京都千代田区にある共立女子短期大学の文科。
偏差値は44〜49くらいで、短大としては平均よりちょっと上の学力帯って感じです。
東京のど真ん中でキャンパスライフを送る一方で、実はかなりの苦学生でもありました。
奨学金をもらいながら、羽田空港やコンビニでアルバイトを掛け持ちして、なんとか学費や生活費をやりくりしていたそうです。
しかもその奨学金、返し終わったのはなんと30代に入ってからだったとか。
けっこう派手な見た目のイメージがあるかもしれませんが、実はその裏でめちゃくちゃ地道に頑張ってたんですね。
「東京でちょっと華やかな生活してみたいな〜」なんて憧れもあったみたいですが、だからって浮かれることなく、バイトして学費払って…って、しっかり地に足つけて生きてた感じが伝わってきます。
こういう話を聞くと、「なんだかんだで努力の人なんだな〜」って思いますよね。
ほんと、夢を見つつ、現実もしっかり生きてた人って印象です。
海外留学|イギリスで英語力の向上
塩村あやかさんは、共立女子短大・文科を卒業したあと、すぐに就職とか安定した道には進まず、「もっと自分の可能性を広げたい!」って思ったそうです。
当時はグラビアやテレビにも出てて、それなりに芸能の仕事もあったんですが、ふと立ち止まって「なんか違うかも…」って。このまま流されて生きるのは、自分らしくないって感じたのかもしれません。

で、そこで選んだのが――海外留学!
まず最初に行ったのはイギリスです。
言葉も文化もまったく違う場所で、ゼロから自分を試してみたいっていう気持ちがあったんでしょうね。
現地では語学学校に通いながら、毎日いろんな人と英語でコミュニケーション。
英語が上達したのはもちろん、「自分の言葉でちゃんと伝える力」もめっちゃ鍛えられたみたいです。
で、なによりすごいのが――
なんと塩村さん、1人でメルセデス・ベンツを借りて、600km以上もドライブしたらしいんです!

「クルマさえあれば、どこにでも行けるんだ!」って実感して、そこから“自分で動く勇気”とか“自由に生きるってこういうことかも”って感覚に目覚めたそう。
この話は、トヨタの『GIRL’S CARLIFE』って特集でも紹介されてます。
引用元:Gazoo
そんなこんなで、イギリスでの留学は、塩村さんにとって「世界って広い、自分次第でどこにでも行ける」ってことを実感する大きな転機になったんですね。
海外留学|オーストラリアで「おもてなし」を学ぶ
そんなふうに、イギリスで“行動する勇気”とか“自由に生きる感覚”をつかんだ塩村さん。
でも、ここで終わりじゃありません。
次に向かったのは――オーストラリア!
今度はただの語学じゃなくて、もっと専門的なことを学ぼうと決めて、現地の「Australian School of Hospitality and Hotel Management」っていう学校に通いはじめます。

この学校、オーストラリア西部の都市・パース(Perth)にある専門校で、正式名称は「Australian School of Tourism and Hotel Management」。
1989年に設立された歴史ある学校で、名前の通り、ホテルや観光業に関する実践的なスキルをしっかり学べる場所で、
塩村さんもここで、ホスピタリティ(接客・サービス)やイベント運営なんかを体験ベースで学んでいったそうです。
授業を通して、ただ“接客のやり方”を学ぶだけじゃなく、気配りの大切さとか、チームで動くことの面白さ、文化の違いに向き合う姿勢なんかも自然と身についたんだとか。
こういう経験が、今の塩村さんの「どんな人ともちゃんと向き合える感じ」や「伝わる話し方」にもつながってるのかもしれませんね。
現在も中央大学法学部の通信教育課程に在学中

塩村あやかさんって、じつは今も中央大学の法学部(通信課程)で勉強中なんです。
忙しい政治家なのに、まだ学生やってるって…なんかスゴくないですか?
もともと短大を卒業して、オーストラリアにも留学してたんですけど、そのあと「政治やるなら法律ちゃんと勉強しなきゃ!」って思ったらしくて。
最初は慶應の通信課程に入ってたみたいですが、当時はお金がなくて、学費が払えず退学しちゃったんだとか。
でもそこであきらめずに、再チャレンジしたのが中央大学の通信課程。
入ったのはけっこう前(2001年ごろ)で、今もマイペースに続けてるっぽいです。
本人のX(旧Twitter)でも、「スクーリングと試験は終わったけど、まだレポートの判定待ち…」とか、
✏️通教の仲間にお尋ね✏️
— 塩村あやか🐾参議院議員(東京選挙区候補) (@shiomura) August 23, 2024
スクーリングと試験は終えたものの、それ以前に提出しているレポート2本の先に出した方の判定がまだ出ていません。…
「通常国会でバタバタしてて、レポート全然出せなかった〜」とか、
リアルすぎる“通信学生あるある”みたいな投稿がちらほら(笑)
間もなく大学のスクーリング。
— 塩村あやか🐾参議院議員(東京選挙区候補) (@shiomura) July 23, 2024
今年の通常国会の内閣委員会は多忙を極め、ひとつもレポートを出せなかった。気づいたらスクーリングの申込期限も過ぎていて、ダバオの慰霊祭を入れていたりと、追加募集での受講となりました。… pic.twitter.com/mUP6eeCyCe
ただでさえ忙しい国会議員が、空いた時間でレポート書いてるとか、本当に努力家ですよね。
名前や肩書きに頼らず、ちゃんと学ぼうとしてるところが、ちょっとカッコいいなって思います。
若い頃はグラビアアイドルや放送作家としても活躍
いまや“政治家・塩村あやか”のイメージが定着してますが、
実は彼女、若い頃はグラビアアイドルとして活動していた時期があるんです。
きっかけは1998年、共立女子短大に通っていたころ。
「ミスヤングマガジン」で準グランプリを受賞して、芸能界デビュー!
その後は雑誌やDVDで水着グラビアを披露したり、テレビのバラエティ番組にも出たりしていました。

特に印象的だったのが、有名なトーク番組『恋のから騒ぎ』(第14期)への出演。
ズバッと物を言うキャラで、「この子ちょっと違うな…!」って印象に残った人も多いはず。

しかもすごいのが、表に出るだけじゃなかったってところ。
実は塩村さん、なんと裏方として“放送作家”の仕事もしてたんです!
『恋のから騒ぎ』に出たあと、番組で活躍していた山田美保子さんに憧れて、放送作家の道へ。
テレビ番組やラジオで、企画を考えたり、構成を作ったりといった裏方の仕事にも本気で取り組んでいたそうです。
実際に、『シューイチ』や『24時間テレビ』の制作にも関わっていたという記録があって、バラエティや報道の現場で、がっつり“作る側”として動いてたんですね。
テレビ番組やラジオの企画構成を実際に担当した経験があり、『シューイチ』や『24時間テレビ』などの制作に関わっていたことも本人プロフィールに記載されています。

だからこそ、政治家になった今でも「話し方がうまい」「伝え方に説得力がある」って言われるのも納得。
メディアの裏側も知ってるって、けっこう大きな強みですよね。



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