生島ヒロシさんは1976年にTBSに入社し、アナウンサーとしてのキャリアをスタートさせました。
彼はラジオ番組「生島ヒロシのおはよう定食」や「生島ヒロシのおはよう一直線」などでパーソナリティを務め、長年にわたり多くのリスナーに親しまれてきました。
そんな生島ヒロシさんの若い頃が気になる方も少なくないようで、彼をネットで検索すると「若い頃」と表示されます。
そこでこの記事では生島ヒロシさんの若い頃を時系列で画像で紹介します。
ではご覧ください。
生島ヒロシの筋肉バッキバキでかっこいい若い頃を時系列で画像で紹介!
生島ヒロシさんは1950年12月24日生まれ(75歳)
出身は宮城県気仙沼市
1971年当時21歳で単身渡米し、1975年にカリフォルニア州立大学ロングビーチ校のジャーナリズム科を卒業。
その後TBSに入社しアナウンサーとしてのキャリアをスタートさせました。
次からはそんな生島ヒロシさんの若い頃を時系列で紹介していきます。
20代の生島ヒロシ
20代の生島ヒロシさん、腹筋が見えていてバッキバキですね!
単身で渡米し大学でジャーナリズムを学んだそうです。
いや〜20代の頃はスタイルが素晴らしいですね!
30代の生島ヒロシ
30代の生島ひろしさん、TBSに入社しアナウンサーとしてのキャリアをスタートしました。
1976年26歳の時に一般女性と結婚され、1984年34歳の時に長男の生島勇輝さん、翌年には生島翔が誕生。
二人の子供の父となりました。
40代の生島ヒロシ
40代の生島ヒロシさん「ミュージックステーション」の司会を務めて一躍人気となりました。
彼は1986年に番組が始まった当初から、タモリさんと共に司会を担当しました。
彼の軽快なトークとアーティストのインタビューは、多くの視聴者に愛されました。
50代の生島ヒロシ
50歳の生島ヒロシさん。
38歳の時にフリーに転身し会社を設立しましたが、テレビの仕事がみるみる減り、個人事務所の悲哀を実感したそうです。
会社が安定すればという思いから始めた不動産などで結果10億円近い借金を背負うことになりました。
生まれて初めて、将来への不安と恐怖を感じたと話しています。
しかし1998年40代後半に転機が訪れます。
ラジオ「生島ヒロシのおはよう定食」この番組は1998年にスタートし、長年にわたり多くのリスナーに親し間れました。
60代の生島ヒロシ
60代の生島ヒロシさん。
ライザップのCMに出演した時は驚きました!
若い頃のようにバッキバキですね!
ラジオの仕事を引き受けるのを最初は迷ったそうですが、続けていくうちにまたテレビでの仕事も舞い込んでくるようになったそうです。
70代の生島ヒロシ
70代の生島ヒロシさん。
1989年にフリーに転身し、以降は多くのラジオ番組やテレビ番組で活躍してきました。
特に彼のラジオ番組「生島ヒロシのおはよう定食」は長寿番組として知られていました。
そんな彼は最近のニュースでTBSラジオの番組を降板することが発表されました。
2025年1月27日にTBSラジオは生島ヒロシさんが「重大なコンプライアンス違反」があったとして、彼がパーソナリティを務める2つの番組「生島ヒロシのおはよう定食」「生島ヒロシのおはよう一直線」を降板することが決まりました。
生島ヒロシのプロフィール
生島ヒロシ(いくしま ひろし)
本名は生島 博(読みは同じ)
特技は空手(黒帯)
1950年12月24日に宮城県気仙沼市で生まれました。
1971年当時21歳で単身でアメリカに渡り、1975年にカリフォルニア州立大学ロングビーチ校のジャーナリズム科を卒業。
1976年にTBSに入社し、アナウンサーのキャリアをスタートさせます。
その後TBSでの活動を経て、1989年にフリーアナウンサーとして独立しました。
彼は「生島ヒロシのおはよう一直線」や「生島ひろしのおはよう定食」などのラジオ番組で広く知られています。
また彼は東北福祉大学の客員教授を務めており、地域貢献活動にも積極的に参加しています。
故郷である、「みやぎ絆大使」や「気仙沼大使」などの役職も持っており、地域の復興に大きく貢献しています。
生島ヒロシの筋肉バッキバキでかっこいい若い頃を時系列で画像で紹介!まとめ
生島ヒロシのバッキバキな若い頃を時系列画像で紹介していきました。
若い頃バッキバキでかっこよかったですよね!
現在も元気いっぱいな生島ヒロシさんですが、
最近のニュースでは「重大なコンプライアンス違反」で無期限の芸能活動の自粛が決まりました。
残念な気持ちではありますが、不愉快な思いをされた方がいるのであればしっかり反省しなければなりませんね。
またラジオを聞ける日を楽しみしています。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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