SBIホールディングス会長の北尾吉孝さんのwiki経歴や学歴を紹介!
高校・大学・留学先から、三井物産→野村證券→ソフトバンク→SBI創設までの流れをまとめつつ、北尾吉孝さんの人物像もゆるく深掘りしていきます!
ではご覧ください。
北尾吉孝のプロフィール

- 北尾 吉孝(きたお よしたか)
- 生年月日:1951年1月6日(2025年で74歳)
- 出身地:兵庫県姫路市
- 配偶者:佐川恵理(さがわ・えり)※公式な情報ではない。
- 子供:いる情報はありますが、公式な公表はない。
- 現職:SBIホールディングス株式会社 代表取締役 会長兼社長
SBIホールディングス会長の北尾吉孝さんは、「義を見てせざるは勇無きなり」を座右の銘に掲げる“信念の人”。
「義を見てせざるは勇無きなり」とは
「義(正しいこと)を見て行動しないのは勇気がない証拠」という意味
正しいと思ったことは遠慮せずに行動するタイプで、2023年にはフジメディアHDの経営に堂々と意見を表明。その姿勢には賛否両論ありつつも、多くの共感も呼びました。
ズバズバとフジテレビの体制に切り込む発言は、世間から「よくぞ言ってくれた」と称賛される場面もあり、見ていて気持ちがよかったです。w
社内では「部下の成長を助けるのが上司の務め」と考え、業績には厳しく、努力にはしっかり報いる人柄。講演でも「部下の幸福を願わない経営者は失格」と語るなど、育成にも真剣な方です。
また、2011年の東日本大震災では、いち早く支援を打ち出し、グループ全体で復興支援を実施。信念だけでなく、行動力と人情も備えた人物といえます。
これは私の個人的な感想ですが率直に言って――めちゃくちゃ“信念の塊”みたいな人ですよね!正しいと思ったことははっきり口にする姿勢、そこに実行力と責任感が伴ってるのがスゴい。
普通なら大企業相手にここまで言えないよな…と思う反面、その遠慮のなさが逆にスカッとするし、説得力がありました。
北尾吉孝の主な経歴
ここからは北尾吉孝の主な経歴についてざっくり紹介していきます。
1974年:慶應義塾大学卒業、三井物産に入社

三井物産では、主に外国為替や国際金融の仕事を担当していて、いわゆる「お金のやり取りのプロ」みたいな立ち位置でした。
為替市場でドルやポンドを売ったり買ったり、会社のお金をどうやって調達するかを考えたり、かなり実戦的な仕事をしていたようです。
当時の三井物産はドルでの取引が多くて、円とドル、円とポンドみたいな通貨のやり取りが日常茶飯事。その中で北尾さんは、為替の動きを読みながら大きなお金を動かす仕事を任されていたみたいです。
1980年代:ロンドン駐在などを経て、ケンブリッジ大学へ留学

その後はロンドンに駐在して、いろんな海外案件をこなす中で、国際的なビジネスセンスと語学力をしっかり鍛えたと言われています。
さらに、三井物産の社内制度を使って、イギリスのケンブリッジ大学(セント・ジョンズ・カレッジ)に留学。大学院で開発経済学を学んでいます。
この留学が、彼の視野を「日本だけ」から「世界全体」へと一気に広げるきっかけになったそうです。
ここまで見ると、社内でも相当期待されてた優秀な人材だったことがよくわかりますよね。
1989年:野村證券 国際部門(ロンドン)に転職

当時の野村證券は「世界で勝負できる日本の金融機関」として存在感を増していたタイミングで、北尾さんもロンドンを拠点にグローバルな金融の最前線でバリバリ働いていたようです。
三井物産時代に培った国際金融の経験を、ここでさらにレベルアップさせていった感じですね。
着実にキャリアを積み重ねていて、「この人ただ者じゃないな」感が伝わってきますね!
1995年:ソフトバンク株式会社入社(孫正義氏にスカウト)

1995年、北尾さんはソフトバンクに転職。しかもこのとき、孫正義さん本人からのスカウトだったそうです。
当時、孫さんはソフトバンクを「単なるIT企業」から「本格的な投資・金融グループ」へと成長させようとしていたタイミング。そこに北尾さんの国際金融の知見がピタリとハマったんですね。
実際、孫さんは後に「北尾さんがいなければ今のソフトバンクはなかった」とまで語っており、その信頼の厚さがよくわかります。
1999年:ソフトバンク・インベストメント社長就任(現SBI)

ここから、彼のキャリアが「投資と金融の世界」で一気に加速。
それまでの商社マン・証券マンとしての経験を活かしつつ、独自の投資戦略で会社をグングン成長させていきました。
ソフトバンクグループの中でも異色の存在だったこの会社を、のちに完全に独立させて「SBIホールディングス」として上場企業に育て上げるのだから、本当にすごいですよね。
ちなみに、SBIがもともとソフトバンクの“金融部門”として始まったって話、意外と知らない人多いかもしれません。
気づけば今や、ソフトバンクとはまったく別の道を歩む巨大グループに成長しています。
2006年:SBIホールディングス代表取締役 CEO就任

2006年、自ら立ち上げた会社を率いて、いよいよ“独立系金融グループ”として本格始動。
証券・銀行・保険・ベンチャー投資など、あらゆる金融サービスのビジネスモデルを築き上げていきます。
ここからSBIは、まさに「金融の総合デパート」みたいな存在に成長していくんですよ!
NISAやiDeCoでお世話になってる、なんて人も多いんじゃないでしょうか?
気づかないうちに、実は北尾さんの会社に関わってる人、けっこう多いかもしれませんね。
2023年〜:フジメディアHDの筆頭株主として経営改革を主張し注目される

そして最近では、2023年からフジメディアHDの筆頭株主としても話題に。
経営改革を求めてズバズバと意見を表明し、メディア業界にもグイグイ切り込んでいきます。
とくにフジテレビの体制に対する発言は、「よくぞ言ってくれた!」とネット上でもスカッとしたという声が多く、北尾節、炸裂!といった感じでした。
金融だけでなく、メディアにもメスを入れるあたり、本気で“日本全体を良くしたい”という思いがあるのかもしれませんね。
北尾吉孝の学歴・高校・大学
ここでは、北尾吉孝さんという人物の土台を築いた“学歴”や学生時代の歩みについてご紹介していきます。
高校:兵庫県立姫路西高等学校

北尾吉孝さんが通っていたのは、兵庫県立姫路西高等学校。
地元・姫路では有名な伝統ある進学校で、勉強もかなりレベルが高いことで知られています。
2025年度の偏差値は69〜72で、県内公立高校の中でも上位に位置しています。
この高校では、学問だけでなく「自立心」や「論理的思考力」も重視されるらしく、のちの北尾さんの“自分の信念を貫く力”は、ここでの経験が土台になっているのかもしれません。
大学:慶應義塾大学 経済学部

高校卒業後、北尾吉孝さんは慶應義塾大学経済学部に進学します。
慶應といえば、日本を代表する私立大学のひとつ。特に経済学部は超人気の看板学部で、当時からレベルはめちゃくちゃ高かったようです。
2025年度のデータによると偏差値は65.0〜67.5となっています。
ここで北尾さんは、単なる勉強だけじゃなくて、経済を動かす“本質”を学びながら、自分の中にしっかりしたビジネス感覚を育てていったと言われています。
この時代に培った知識と考え方が、その後の三井物産、野村證券、ソフトバンク、そしてSBIホールディングスと、続くキャリアのベースになっていったわけですね。
大学院:ケンブリッジ大学 セント・ジョンズ・カレッジ

北尾吉孝さんは、三井物産で働きながら、社内制度を活用してイギリスの名門・ケンブリッジ大学に留学。
在籍したのは「セント・ジョンズ・カレッジ」という超伝統ある学寮で、開発経済学の修士課程を専攻しました。
このケンブリッジ大学留学は、当時の三井物産の中でも限られた人しか選ばれなかったそうで、社内でも北尾さんが“かなりの逸材”と見なされていたことがわかります。
まさにここで、ビジネスの視点が“日本ローカル”から“グローバルスケール”へと一気に広がったわけですね。
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