長澤まさみさんとの結婚で話題になっている、映画監督の福永壮志さん。
「一体どんな人物なの?」と気になった方も多いのではないでしょうか。
実は福永壮志さんは、英語が苦手だった“普通の高校生”から映画の世界へ飛び込み、注目を集める存在になった人物です。
そこでこの記事では、
福永壮志さんが何者なのか?
なぜ映画監督を目指したのか?
そして映画『将軍』にたどり着くまでの経歴を、わかりやすく整理してご紹介していきます。
福永壮志は何者?英語嫌いから世界へ飛び出した映画監督
福永壮志(ふくなが たけし)さんは、もともと北海道出身の“普通の高校生”でした。
しかも本人いわく、英語は大の苦手。そんな人物が、20歳で単身アメリカに渡り、今や世界レベルで評価される映画・ドラマ監督になったという、かなり異色の経歴の持ち主です。
どれくらいすごいのかというと、
長編デビュー作となった2015年の映画『リベリアの白い血』がベルリン国際映画祭に出品。さらにアメリカの主要映画祭で最高賞を受賞し、インディペンデント・スピリット賞(インディー映画界のアカデミー賞)にもノミネートされました。

その後も、
『アイヌモシリ』
『山女』
といった作品で次々と国際映画祭に招かれ、インディペンデント映画界の新星として注目を集めます。
そして2024年には、ハリウッド制作の大作ドラマ『SHOGUN 将軍』の第7話を監督。
この作品は、エミー賞史上最多となる18部門受賞という歴史的快挙を達成し、ゴールデン・グローブ賞でも4部門を受賞。さらに福永監督自身も、アジア系監督としてGold List最優秀監督賞を獲得しました。

つまり、
インディペンデント映画の新星 → 世界的ドラマの監督へと、一気に駆け上がった実力派監督というわけです。
そして今、福永壮志さんが再び大きな注目を集めている理由が、
2026年1月1日に女優・長澤まさみさんとの結婚を発表したこと。

突然のビッグカップル誕生に世間は騒然。
「長澤まさみの旦那って誰?」という流れで福永監督の経歴が掘り起こされ、
「え、こんなにすごい人だったの!?」
と、二重の衝撃が走っています。
英語嫌いだった地方出身の青年が、好奇心と行動力だけを武器に世界のトップシーンへ。
まさに“挑戦の人”と呼ぶにふさわしい存在です。
福永壮志のプロフィール|wiki風まとめ
ここでは、福永壮志さんが何者なのかを、プロフィールを中心にwiki風にわかりやすくまとめていきます。

- 名前:福永壮志(ふくなが たけし)
- 生年月日:非公表
- 年齢:40代前半(2026年時点・推定)
- 出身地:北海道
- 国籍:日本
- 職業:映画監督、映像ディレクター
- 活動拠点:日本、アメリカ
- デビュー作:リベリアの白い血(2015年)
- 主な代表作:アイヌモシリ、山女、SHOGUN 将軍
学生時代はどんな高校生だった?
福永壮志さんは、北海道にいたごく普通の高校生でした。高校名は公表されていませんが、いわゆる目立つタイプだったわけではなさそうです。
むしろ当時は英語が大嫌いで、「なんで日本人が英語を勉強しなきゃいけないんだ」と口にするほど。ちょっとひねくれた一面もあったようです。
ただ、その一方で好奇心と行動力はかなり強め。日本の「当たり前」に違和感を覚え、特に大学受験の仕組みには納得がいかなかったそうです。「やりたいことも分からないのに、先に進路を決めるなんておかしい」と感じていたのだとか。
そんな中で知ったのが、入学してから専攻を選べるアメリカの大学制度。これだ、と思った福永さんは留学を決意します。この高校時代のモヤモヤや映画との出会いが、のちの世界的なキャリアにつながっていきました。
映画監督を目指したきっかけは?高校時代の衝撃体験
福永壮志さんが映画監督を目指すようになった最大の転機は、高校時代に観た映画
『2001年宇宙の旅』でした。
この作品は、スタンリー・キューブリック監督によるSF映画で、
人類の進化や宇宙、人工知能といった壮大なテーマを、セリフに頼らず映像と音楽で描いた名作です。
ストーリーを追うというより、映像そのものを体験する映画として知られています。
この映画を観た福永さんは、
「映画って、こんな表現ができるんだ」
と強い衝撃を受けたそうです。物語を説明するのではなく、映像だけで観る人の感覚や感情を揺さぶる世界観に触れ、映画に対する価値観が一気に変わりました。
そしてこの体験をきっかけに、
「自分もこんな映像を作る側になりたい」
と、映画監督という道をはっきりと意識するようになります。
英語が苦手で、将来の進路にも迷っていた高校生が、
一本の映画との出会いによって人生の方向を定めた瞬間でした。
英語力ほぼゼロで渡米|20歳の大きな決断
福永壮志さんが本格的にアメリカへ渡ったのは、2003年、20歳(もしくは21歳直前)のときでした。
高校卒業後すぐに渡米したわけではなく、当時は英語力がほぼゼロに近い状態。いきなり海外に飛び出すのではなく、まずは秋田で約1年〜1年半の集中特訓を受け、英語の基礎を徹底的に鍛えています。
その後、提携制度を利用してアメリカ本土へ渡り、ミネソタ州立大学で一般教養を学ぶことに。そこで映画への思いがさらに強まり、「やっぱり本気で映画をやりたい」と確信します。
そして2003年、映画の本場を求めてニューヨークへ移動。
ニューヨーク市立大学ブルックリン校 映画学部に進学し、本格的に映像制作の道へ足を踏み入れました(ミネソタ州立大学経由の進学とされています)。

2007年の卒業まで、現地で実践的な映像制作や現場経験を積み重ねた福永さん。
英語嫌いだった20歳の決断が、のちに世界へつながるキャリアのすべての始まりとなったのです。
映画『将軍』へ|世界に認められるまでの道のり
福永壮志さんは、渡米後ニューヨークを拠点に、インディペンデント映画の現場で地道な下積みを重ねていきました。

大きな転機となったのが、2015年の長編デビュー作
『リベリアの白い血(Out of My Hand)』。
この作品がベルリン国際映画祭パノラマ部門に出品され、ロサンゼルス映画祭で最高賞を受賞。さらに、インディペンデント・スピリット賞にもノミネートされ、一気に国際的な注目を集めます。
その後も、
2020年『アイヌモシリ』(トライベッカ映画祭 審査員特別賞)
2022年『山女』(東京国際映画祭メインコンペ出品、TAMA映画賞 最優秀新進監督賞)
と、日本文化やマイノリティをテーマにした作品で評価を確立していきました。
そして2024年、ついにハリウッド制作のプレステージドラマ
『SHOGUN 将軍』(FX/Disney+)第7話の監督に抜擢。
同作は、エミー賞史上最多18部門受賞、ゴールデン・グローブ賞4部門受賞という歴史的快挙を達成します。
移民やアイヌ文化、境界に生きる人々を描いてきた福永監督ならではの視点が、『将軍』のような大作ドラマで重要なエピソードを任される理由となりました。
英語嫌いだった普通の高校生が、20歳で渡米し、猛勉強と現場経験を積み重ね、ついにはエミー賞受賞作の監督へ。
福永壮志さんはまさに、好奇心と行動力で世界を切り開いた国際派監督の象徴と言える存在です。

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